色々解決した後と最終戦辺りが行き来するよくある展開。ジーンこと福さんも神社の人になったツムリと再会するべく未来からのこのこ来ているが、そもそも悪質な運営が消えた程度で未来人がどうして来てたのかとかは分からずじまい。
融合というよりは黒ツムリもツムリなのでやりたいと思ったことは白ツムリもやってしまうという分かるんだか分からないんだかの理由でエースを撃っていた。
オンリーワンのエースを殺し狐ならぬ天狗になっている創始者は残りのネームドライダーを排除に動く。よくある根性を見せる3名だが全員が特殊な力(嘘ついて得た創世に近い力・エース→パパ経由の創世に近い力・ライダーぶっ潰す力)どころかライダーの力を手に入れる前に戻されてどうしようもなくなってしまう。セリフは聞き流してたけど記憶とかも戻されたらそもそも終わるんじゃないだろうか…?
エースの復活はそもそも覚悟してたと言う通り、創世の力を母から引き継ぐ時点で死んでも構わない前提で誰もが幸せな世界を作る神になるということ。
それはそれでよく分からないんだが…鎧武の神汰さんとある程度似ている感じである。ただ、お決まりの最終回初期フォームのマグナムブーストはどちらかというと同じ姿でスペックがどうのっていうより音声が追加されてたくらい(中身が神になっただけ)で即ギーツナインに変わってたのでこれといってアーツとかにはならんはず…
神の力でみんな初期フォームになったりお得意の時間系攻撃も神に時間関係ないの一言でリガドを圧倒するのでした。
ということでエースに協力したギロリ含め悪質運営は消滅。おそらく?滅びる未来は現代人に託される。(主に生き残った眼鏡ことピクミンに)
そして幸せに総量がなく、頑張れば頑張るだけ願いが叶うかもしれない世界にエースの力で作り替えられる。エースのことは忘れた方がいいと当人が言ってて忘れないと言うネームド達だがこのあとの描写的に忘れてるのか覚えているのか判断に困る…
ギーツナインのベルトがなんかご神体みたいになっててガチの神感がすごいギーツ神社には願いが大量に。
福さんは願いを叶えたい人をサポートする意味での代償のないデザグラが再開されることをなんかギーツ神社の巫女的に見守ってるツムリに伝えに来たり。この時の会話としてはジーンはエースを覚えているって言われてるしネームドさんたちはどうなんだろ…
映画の神殺しだかっていうのもあーそういうことね(分かってない)っていうレベルの神化で映画は最終回後だなーって感はありましたが、映画のエースが出てくる時のたぬきらの反応覚えてないや…
その後のキャラ達はバッファは悪質なライダー憎しから解放された普通の願いは肉を食べたい(牛なので)というもので、職場の人らもまぁいい人達っぽく、ナーゴはちゃっかり福さんと同じく戻ってきてるキューンと行動を共にしてラブコメ中。
たぬきは世界平和のためにどうも警察官になろうとしており、たぬき姉は大して変わらず。眼鏡はジャマトとの共生を望んでまさかのガチ救世主になりかねない状態に。
個人的に最後くらいまで眼鏡の面白さにはいまいち乗り切れなかったが公式的にライブ感を認められてまさかのピクミンのキャプテンオリマー的なキャラに着地するとは思いもしなかった一番の出世キャラである。
パンクジャックはロックバンド目指すのはいいんだが、ほぼ改心後は味方ではあったのに後半全く変身しないのはなんかもったいないなあ。
神となったエースはガッチャードとすれ違うのでした。
完。
ということでまとめである。
個人的にたぬきについての不満が大きすぎる。狐と狸という対になりそうな感じで成長と強化という期待感があったのに悪い方面の闇堕ち(言いたかないが使い回し強化)と光堕ちの流れがひどい。
スケジュールの都合があったのか、しょうがないとはいえ最終回と映画には出てるもののジーンの出番がもうちょっとあって欲しかったかなー。
勿体ないなという細かいところもそこそこあったものの、たぬき系以外は致命的というほどのものはなく大体令和の中ではやはり一番いい内容なのかもしれない。
主人公が人の輪から外れるのは定番とはいえそれ系はぶっちゃけ嫌いなのだが、映画でさらっと出てきてる(要するにちょくちょく出てこれる可能性がある)し転生設定含め正直最初から超然とし過ぎててあんまり違和感がないのかもしれない。
目下のところ問題はヴァルバラドが魔進チェイサーのようないい感じのキャラになるかどうかである。あと燃える形でのライダー化ね。
どうもガッチャードは「ライダー少な目」というもっと早くやれってくらいにやるべきことをやるみたいなのをどっかで見たけど、それがマジなら期待は出来る…のか?
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